はじめに
最近のYoutubeなどを見ても明らかなように今の日本、特に若者の間では学歴社会が広まっている。
どうもこんにちは。神保です。2024年の3月に受験を終え、今はとある国公立大学に入学し充実した大学LIFEをおくっています。まずはたくさんある受験についての記述の中から神保のストーリー受験編を選んでくれてありがとう。初めに伝えておくこととして、僕が書くこのブログは「中学時代に遊んでしまい高校受験が思うようにならなかった。しかし大学受験で大逆転を起こしたい」そんな方に参考にしてほしく書いたものです。もちろん新高校1年生だけでなく2年、3年生も僕の勉強方法や計画の立て方、僕が紹介するちょっとした教訓を見てモチベーションをあげるのにも大いに活用してほしい。
目次
・はじめに
・第一章 神保の高校入学前の状況と目標
・第二章 高校1年
・第三章 高校2年
・第四章 高校3年(受験)
・目標に突き進む君へ
第一章 神保の高校入学前の状況と目標
最初に僕の性格についてすこし語らせてほしい。自分で言うのも違うような気がするが、比較的大人しい性格で学校の先生や友達からは真面目だといわれてきた。そして地域のお母さん達から好かれているような青年だった。たぶん(笑)。
しかし中学入学時に何か自分を変えたい。クラスの中で人気者で面白いことを大声で言っているような存在になりたいと思い、新しい環境、前までの自分を知らない人たちがたくさんいる環境なら変われるチャンスじゃないのか。そう思い性格を180°変えた。中学では問題児として扱われ、担任だけでなく、生徒指導の先生にもお世話になった。部活では毎日放課後練習(バレーボール)、帰宅してからはゲームか友達と電話するといった勉強とは無縁な生活を送っていた。
高校受験を意識し始めたのは3年の初めぐらい。先生に行きたい高校名を言ったら、「今のままでは厳しいよね」と冷たい口調で言われた。実際自分でもわかっていた。5教科500点満点の定期テストでさえも200点台を連発している奴が偏差値65の高校へ進学するなんて厳しいにもほどがある。しかし、当時の僕はどうしてもその高校に行きたかった。そこで次の定期テストまで猛勉強して3か月後にが350点まであげた。ここでの勉強方法としては特に工夫などはなく、元々0だった勉強時間を増やし、テスト前の課題を完璧にこなし、狭い出題範囲を増やし、テスト前の課題を完璧にこなし、狭い出題範囲を暗記に近い形で勉強した。とにかく時間をかけたということが言いたい。それでも先生の志望校に対する意見は変わっていなかった。この時「あ、もう高校はいいや。中学は遊ぼう。」と思った。ここで僕は志望校をあきらめた、というより割り切った。そうして残りの中学生活、勉強は程々にして遊んでいた。そして家から近い偏差値50前後の私立高校に進学した。
この章のまとめとして、中学3年の僕は高校に入学したら遊びもできないぐらい本気で勉強する。だから残りの中学生の期間は楽しく過ごそう。そして高校3年間を使って第一志望に合格し、大学で好きなことをしようと誓った。
第二章 高校1年
今手元に残っている成績表を紹介しながら僕の成長と衰退を語っていく。無事高校生になれた僕は前に言ったようにやる気十分な状態だった。朝7時に起床してゆっくり準備して8時に到着するように登校する。そして学校で毎日ある小テストを受け、8時50分から1限が始まり7限まで授業を行う。そして帰宅しご飯を食べ、風呂に入りいつでも寝れる状態になったら今日の宿題と明日の小テストの勉強をする。やるべき課題が終わったらゲームをして12時には寝る。そういった生活を繰り返していた。ここで「やる気があって、高校で頑張ると言っていたのに全然勉強していないじゃないか。」と思った人もいるかもしれない。実際にそうである。今の僕が高校3年間を振り返った時に高1のゲームやテレビの時間は削れたのではないかと思う時がある。しかし同時に息抜きの時間としても重要な時間でもあったと感じる。そんな言動不一致な僕でも、まだ心の中に志望校合格の執念は捨てられずにいた。この時の僕は定期テストでは高得点をとれるが模試になると取れないという状態が続いていた。 そんな時偶然実家に帰省していた兄に勉強をみてもらう機会があった。そこで気づいたのは
・勉強の仕方が間違っていた
・勉強をやっていると錯覚していた
受験とは完璧に学問をこなすことではなく行きたい大学に合格すること。そのためには必要な知識を選択しそこを重点的に勉強する。この頃の僕はどこが出るかもわからずただ問題集を解き、その場で一喜一憂を繰り返しただひたすらに新しい問題を解いていた。そんな僕が1か月後の模試で偏差値60を取るためにしたことは、敵を知るすなわち、偏差値60を取るためには何点必要なのか。そして模試ではどんな問題が出題されるのかを知ることだった。次の日すぐに職員室に駆け込み過去問3年分と去年の偏差値60の大体の点数を先生に尋ねた。そして次に敵の情報から攻略への計画を立てる。例えば過去問をみて数学ならば二次関数が毎年大問一門分出ていたため、今年も出る可能性が高いだから二次関数の対策は優先順意を高めにおこなう。英語の場合、長文の結ってる内容が分からない。それは文構造の理解が足りていないのか、語彙力が足りていないのかを判断。僕の場合、両方できていなかったので1っか月で仕上げるために文構造の理解よりも単語練習に重きを置いた。単語はターゲット1900という単語帳を使っていたので、初めの単語のれべるが書かれた表をみて模試の文章を理解するのに最低限必要な基本単語1~800を完璧にする計画を立てた。単語は長い目で見て毎日寝る前の15分ほどで30個暗記し朝に復習、休み時間に確認を繰り返していた。
次に勉強の錯覚について。言動不一致で実はやる気もなかった自分を正すには、まず自分が周りよりもやらなければならない事を自覚することだった。そして勉強をサボる人とサボらない人の違いは見えている世界が全く違うこと。
・サボる人:「今日は一日勉強した」と勉強に満足する。なぜならサボるかサボらないかの間で勉強できたかを判断しているから。
・サボらない人:「今日の勉強は~したな、明日は~しよ」いちいち今日の勉強量に満足しない。なぜなら勉強することは当たり前でその努力をいかに効率化、最大化するに焦点を置いてるから。
君もサボらない人の領域に入らないと伸びない。この時1年生だった僕が兄からもらった言葉は「今日からあなたは受験生」
第三章 高校2年
一年最後の模試では国数英3教科の全国偏差値が60になり高校でもトップ10入りを果たした。この結果から2年生より一番上のクラスに進級した結果となった。また、この時感じたのは、勉強の成果は3ヶ月後に表れ始めるということ。2年生で最初の模試では全国偏差値70校内でも2位を勝ち取るまでにいたった。(偏差値は模試の種類にもよるが)しかし、この時の成績は自分でも驚いた。問題を解いている最中でもわからない英単語がなく文章を読めている感覚があったし、数学も以前までは真っ白だった解答用紙にびっしりと解が書けるまでになっていた。しかし唯一、国語だけは最後まで分からないのが受験を通しての悩みだった。
こうして最高の出だしを迎えた2年生だが、この結果から自分の能力を過信してしまい、成績不振に加え、中だるみに陥った。この時期の僕は1年初期の頃と同様に、自分では勉強していると錯覚しており改善点も見つけられないまま、成績だけが落ちていった。今思うと、成績が下がった時期は勉強からにげていた。そんな中また兄が実家に寄る機会があり、その成績表をみた。そののとき「お前は何してるん⁉ この前教えたやん。もう二回は教えへんから、自分でやり方思い出してやってみ。俺はもうしらんから」とあきれられてしまった。そこから過去にどういうやり方をして伸びたのか、逆にどういうやり方をしたら落ちたのかを過去の日記帳を頼りに模索した。
この模索の時期と同時に自分の勉強環境を整えることにも取り組んだ。兄から教えてもらった駅近くにある有料自習室に申し込んだ。そのおかげもあり、学校終わりに立ち寄り、夜10時に帰宅、夜飯と風呂を済ませ、リスニングと単語の復習をして12時までに寝るという一連の生活習慣を築けた。また、僕はお大人の人と話すのが苦手で加えて過去に先生にに質問した時何回聞いてもわからなくて、声を荒げる先生に恐怖心を抱き、結局理解したと嘘の返事したことがあった。そのため、なるべく年が近い人に教えを乞おうと思い、幸運にも兄の友人の兄弟で僕の2つ上の方に家庭教師として来ていただいていた。
以上のことから、自分が成績を伸ばすために焦って身の丈に合っていない問題を解いて、基礎問題を疎かにしていたことに気づいた。ここから、以前ほどまではないが点数も徐々に上がっていった。
この章で僕が伝えたかったのは、自分を変えれないのなら環境を変えて取り組むこと。塾や家庭教師などのツールは自分にとって伸びる役に立つのか。それぞれの役目を考えることだった。
第三章 高校3年
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